副会長の溝口雄二から発信致します。

私は、小山田信茂公顕彰会に入会して4年目になります。

この会を通じて信茂公が戦国時代に都留郡領主3代目
(武田三代等に対しての私なりの言い方です)として、
優れた手腕によって数々の立派な業績を挙げて、
「郷土の英雄」であることを知りました。

私は大月市民の一人として誇りを持ってその人柄と功績を顕彰
することで、町興しと市民意識の醸成に繋がることを願っています。

信茂公は若干14歳で小山田家の跡継ぎとなり、武田信玄や
山県昌景より四書五経を修め(信玄公に講義をしたとか)、
弓矢の御談合7人衆と呼ばれて「文武両道」の人物と
評されています。

武田家と親族衆を維持し忠誠を尽くした信茂公は、郡内の人々を愛し、
地域の発展に多大な寄与をしました。

その信茂公の墓所は四か所もあります。

一つ目は甲府善光寺の裏手の畑に地蔵の姿で、葡萄園の方に
代々管理して頂いています。

二つ目は菩提寺である都留市金井 桂林寺に小山田家歴代の墓と
共にあります。

三つ目は大月市七保町小和田東光寺にあります。
大菩薩連嶺(岩科小一郎著)から知りました。

四つ目は初狩町に首塚があります。
(市内外の方に知られております。)

        桂林寺
        首塚

私も顕彰会の史跡巡りで四か所共に訪れましたが、とても敬虔な気持ち
になりました。

最後に、武田信玄と勝頼親子と興亡を共にした小山田信茂公は逆臣どころか、
郷土の誇り高き人物であることを学びから得て、それを信じて、意を強くして
信茂公の名誉回復のためにこれからも顕彰会のメンバーと共に活動して
いきたいと思います。