小山田信茂公顕彰会の会長武田和春の解説です。
**武田氏滅亡と岩殿城の役割を解説**
山梨県大月市のシンボルである岩殿山は、標高634mの巨大な岩山です。その険しい地形を活かして築かれた岩殿城(岩殿山城)は、戦国時代に「東国随一の要害」と称され、武田氏の重要な防衛拠点として知られていました。軍学書『甲陽軍鑑』には武田三名城の一つとして記されています。
岩殿城は、武田氏の狼煙台から都留郡国衆である小山田氏が築城して発展したと考えられています。築城の正確な時期は不明ですが、城下の桂川に大永7(1527)年岩殿橋が架けられたことから、この年に城が完成したとする説があります。
山頂直下には「鏡岩」と呼ばれる高さ約150mの巨大な岩壁がそびえ立ち、まさに天然の要塞といえる景観を形成しています。この圧倒的な地形こそが、岩殿山が“要害”と呼ばれる所以です。
岩殿山は、甲斐国と武蔵・相模を結ぶ交通の要衝に位置し、甲斐の東口を守る最重要拠点として武田信虎の時代から重視されました。
- 武蔵・相模を結ぶ交通の要衝に位置
- 周囲を断崖に囲まれた攻めにくい地形
- 山頂から広範囲を見渡せる優れた監視能力
会長の武田


