顕彰会主宰・松本憲和 会長・小俣公司 副会長・溝口雄二 副会長・島崎晋一 
会員・折笠公徳より発信します。

10月29日(土)甲府で行われた信玄公まつりに一同参加致しました。

松本憲和主宰は松本主計直光の末裔として武田旧温会(武田家、武田家家臣末裔者、
武田家崇敬者、武田家研究者で組織)の行列に参加。
小俣会長は旧温会メンバーに御挨拶とお祭り見学、溝口副会長と島崎副会長と折笠は
取材とお祭り見学。

信玄公祭りは金~日曜に盛大に開催され、土曜日の夕方からは
県内各地から1000名を超える軍勢が舞鶴城公園に集結し、
川中島に向け出陣する様子を再現します。
その規模は世界最大級!
もえさかるかがり火のもと、信玄公をとりまく勇猛果敢な武田二十四将とともに
執り行う出陣の儀式・三献の儀から「風」「林」「火」「山」の各軍団の出陣へと
華麗ななかにも勇ましい一大戦国絵巻がくりひろげられます。

以下写真で紹介致します。

浅利親善大使 劉永紅さんと甲府駅前で合流
小山田信茂公顕彰会のメンバーと大月市選出の卯月山梨県会議員(中央)
ヴァンフォーレ甲府 天皇杯優勝パレード
信玄公も果たせなかった日本一に輝きました
長崎知事もパレードに参加
信玄公とすっかり意気投合 肩を組み合う
小俣会長が武田英信氏(武田家十七世当主)に御挨拶
武田英信氏(武田家十七世当主)と記念撮影
松本憲和主宰と合流
信玄公祭りを思いっきり堪能中の劉永紅さん
武田旧温会のメンバー。真ん中は武田英信(武田家十七世当主)今回欠席ですが、小山田家末裔の小山田隆信様(小山田家36代、信茂より19代後)が先回のまつりでは参加されました。
幼稚園のお友達も手作り兜と鎧で参加
新潟上越市から上杉謙信も参加

以下は信玄公祭りについて島崎副会長のコメントです。

1.ウィキペディアによると下記の通りです。

(1)発祥は1947年(昭和22年)4月の桜祭り花見の季節に合わせた売り出しを目的に
  甲府城舞鶴公園で開催されたイベントで、最終日は武田神社の例大祭にあわせ
  神輿の渡御に続いて、地元の甲府市相川地区の住民が甲冑姿で騎馬行列を
  行っていた。

(2)1966年(昭和41年)には第一回「甲府信玄祭り」が開催されるが、各地の伝統的祭礼を
  取りこみつつ、さまざまな企画を実行した総合イベントであった。
  やがて騎馬行列を中心とした構成となる。

(3)1970年(昭和45年)より「信玄公祭り」となる。
  前年放送の上杉謙信を主人公に川中島の戦いを描いたNHK大河ドラマ『天と地と』の
  影響を受けて観光客招致をはかる。

2.ここからは島崎記

(1)上記(3)の続き
 *配役 上杉謙信:石坂浩二 武田信玄:高橋幸治
 *当時私は中学生。同級生のお父さんが武者行列の応募して山本勘助?役で当たって
   喜んだいたのを記憶しています。
 
(2)39歳で大月市に戻り翌年より消防団に入団。
  当時は大月市消防団8分団で持回りにて信玄公祭りの小山田隊として参加。
  私は2回参加しました。
  第五分団(七保)は12部ありますので、分団長が小山田氏として馬にのり、副分団長
  +24名(各部2名)徒
  スケジュール 
    朝6:30に分団長出身部に集合 着替え東京より専門方が来られ指導。
    神社に参拝して記念撮影。地域にて行列実施。
    午前中甲府に移動。夕方まで甲冑姿で散策(観光のため勧められた)。
    夕方再集合して本番をひたすら待つ。
    2回目は旗持ちで舞鶴城で出陣式に参加。
    日没後行列実施後、北口近くの体育館?にて着替え
    温泉ホテルに移動して風呂と夕食をして帰路。
    23時ごろ帰宅した。

(3近年は上野原市と都留市の参加で三年に一度となりました。
  一番近い大月市の参加では笹子分団だけでは参加が難しいとのことで、全8分団で
   割り当てて参加となり余計な催しは無くなったと聞いています。